ライブドアからの気づき

ライブドアニッポン放送買収に関して、気づきを得たので書いてみる。
江川紹子による堀江貴文のインタビュー記事を読んで、
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html
パラダイムの衝突が起きている事を感じた。
 
ネット以前のリアル世界には、数々の制約条件があり、それが思考を規定し業界の文化となり根付いたのだろう。例えば、新聞には紙面に限りがあるので、ニュースは選ぶ必要がある。「何を載せるべきで何を載せないべきか」を、何十年も考え続けてきた結果、報道の使命・志が発展してきたのだろう。紙面に制約が無く、ニュースを全て載せる事ができるのなら、何も悩む必要はないのだ。視聴者が全ての情報にアクセスできるようにすれば仕事終了。その情報のランク付けは、民主主義的に決まる。そう、まさに民主主義的、各個人が賢くならないとうまく機能しないのも民主主義に似ている。
 
今起こっている事は、メディア業界の君主制から民主制への転換なのかもしれない。
メディア業界の人々は、今まで情報を一手に扱う君主として君臨し、それゆえ使命感を感じて仕事をしてきた。しかし、インターネットの出現と同時に、それが崩れつつあり、情報の扱いは民衆の手に落ちつつある。2ch、ブログはいい例だ。ネット時代のパラダイムは、全員が発信者、全員が編集者、全員が視聴者。音楽、映像、小説、書評、ニュース、全てにこの傾向がみられる。ライブドアはそれを加速しようとしている。といっても、ライブドアは君主ではなく、民主主義の場を作り維持する「場所貸し屋」にすぎない。だから使命感もない。しかし、次世代に君主はいなくなるから、それが一番儲かる存在となる。
 
この話はメディア業界だけで済まない。まだ旧来の君主制を保っている業界は、随時この民主化の波が襲うだろう。教育業界はその筆頭。お仕着せの教育でなく、多様な教育を消費者が選べるように変わるだろう。そのうち、教師という君主もいなくなり、全員が教師、全員が生徒の状態ができるかもしれない。IT革命ってのはそういう事だ。ドラッカーが言っていたように、ITの本当の影響が現れるのには長い年月が必要なのだろう。
 
これからの時代は、誰かが物事を一元処理するのではなく、各個人が分散処理する形が多くなる。
サーバー・クライアントモデルと、P2Pモデルの違いに似てる。
http://www.kuee.kyoto-u.ac.jp/~kitano/class/pocket/openbb02/report/higashijima.html
これは、非常に面白い図だ。
各ユニットを人に置き換えてみると、組織図に見える。
社内組織も変わり行くのかなぁ。