無行動の回避

どんなに稚拙な事でもいい。やりたいと思ったら、やればいい。周りの人間は、笑うかもしれない。年寄りは怒るかもしれない。先輩は、したり顔で諭すだろう。「○○などやっても無駄だ」「○○やるには××が絶対必要」「○○はいいね。今すぐやれ」外野はうるさく言う。でも、他人の話は、話半分で聞けばいい。俺の話も半分で聞けばいい。最良の選択は、その人によって違うんだから。
 
頭の良い奴や、年寄は、何かと理由をつけて、やっても無駄だと主張するもんだ。「人間にとって素潜りの限界は40m」もし、ジャックマイヨールがこの常識を信じていたら、100mの記録は決して出せなかっただろう。自分がどんな能力を秘めてるのか、誰にも分からない。自分にどんなラッキーが起こるかも、誰にも分からない。世の中は不均一にできている。多くの人にとっての真実は、自分にとっての真実ではない。自分には、自分だけの真実があるのだ。
 
行動すれば、何かが起こる。世界が見えるし、誰かに出会う。失敗もするし、損もするだろうが、いろんな偶然が重なって、チャンスをもらえる事も、よくある。しかし、行動しなければ、そんなチャンスには永遠に遭遇しない。「行動」こそ、人を育てる第一要因だ。どんなに稚拙な事でもいい。思いついたら、まず行動だ。そのうち自分も成長して、目標はガラッと変わるだろう。自分に必要な物も分かってくる。でも、行動しなけりゃ、分からんままだ。
 
現代は、情報化社会。ネットをひけば、ポジティブな情報、ネガティブな情報が氾濫している。何かやろうと思っても、ネガティブな情報に意気消沈。何も行動しないのが、最良の選択に思える事が良くある。分析し冷静に考えれば考えるほど、行動のリスクが見えてきてしまう。こんな情報化社会では、無行動の回避を真剣に考えなくてはいけない。ネガティブな情報は「知らない事にする」のも、また一興。伊能忠敬は、50歳から測量を学んで日本全国をくまなく歩き、日本全図を完成させた。余命と体力を真剣に考えたら、こんな行動は取れない。日本人の平均寿命なんて、知らない事にしとけばいいのだ。
 
最良の選択なんて、きっと、この世の中には無いんだと思う。どんな選択肢を選んでも、その後が大切。成功したら結果的にそれが最良の選択になるのだ。悩んでないで、行動あるのみ!言い訳をして、無行動に陥るのだけは、回避しよう。