[世界と日本] 政治家にもイノベーティブな人材を

 
政治の世界で、日本を「普通の国」にするという話をたまに聞くけれど、「普通の国」なんてものに今更する必要があるのだろうかと思います。それよりは、次世代の国家像というものを思い描き、それを追求しても良いのではないかと思うのです。
 
突然、こんなことを思ったのは、以下の蒲生氏郷の話を読んだからです。
 
織田信長の家臣であった蒲生氏郷は、それまでの常識であった城下町の細く曲がりくねった複雑な道路を廃し、今風の太く真っ直ぐな利便性のいい道路に作り変えたそう。これは「城を守る」という戦術の基本を放棄する概念であり、戦国時代末期の当時からすると本当に画期的なことであったようです。蒲生氏郷は、区画整理で住民の反発に合いながらもこの街づくりを断行しました。彼の目には、戦国時代がまもなく終焉し、遠くない将来、商業流通経済が重視される時代がくると、はっきりと予見されていたらしいのです。
 
そこで翻って今の世界情勢を見ると、今やアメリカの軍事力はダントツとなり、群雄割拠の戦国時代は終わりつつあるのかもしれないと思いました。つまり、アメリカが織田信長のように天下統一をほぼ果たして(?)、次の時代が到来しつつあるのではないかと思ったのです。もし、仮にそうだとすると、これまでの国家像としての「普通の国」なんて物はもはや時代遅れで、次のスタンダードとなるべき国家像があるのではないかと思うのです。
 
それがどんな物かは分かりません。非武装中立がそうなのかもしれないし、やはり無理なのかもしれない。全く違う何かかもしれない。さらに言えば、これからは国家じゃなくて都市単位の競争だという話もあるし、そもそも国家なんて崩壊して完全に個人ベースの世界になるのかもしれない。どんな物になるかは、ほんと分からないです。今の自分には、それを判断できるほどの材料を持ち合わせていません。
 
ただ、もし仮に時代の移り目に自分たちがいるのだとすると、蒲生氏郷のように、次の時代のビジョンを描ける人が出て政治を変えていかなければいけないとは思います。多かれ少なかれ政治にもイノベーティブな人間が求められるのではないでしょうか。
 
ところで、
 
サッカー日本代表のレベルを上げるために、サッカーの裾野を広げよう、という議論はあるのですが、日本の政治のレベルを上げるために、政治家の裾野を広げるべきという議論がでないのは不思議ですね。政治家への新規参入者はなるべく減らしたい既得権益者のエゴでしょうか。2世議員ばかりが台頭するようでは、日本の政治のレベルには限界ありそうですね。